いざ!ノイシュヴァンシュタイン城へ…

ノイシュヴァンシュタイン城はルートヴィッヒ2世の空想の世界を現実にした夢のお城でもあります。

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ルートヴィッヒ2世 その1

ルートヴィッヒ2世は第4代バイエルン国王です。在位期間は1864年~1886年です。

父親マクシミリアン2世、母親はプロイセン王女でプロテスタント教徒(後にカトリックに改宗)のマリーとの間にニンフェンブルク城で1845年8月25日に生まれました。ヴィッテルスバッハ王家はドイツ南部のバイエルンを治める王家で、このヴィッテルスバッハ家は、代々バイエルンの選挙候を務めていて、神聖ローマ帝国皇帝も輩出したこともあるまさに名門の一族です。

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ヴィッテルスバッハ家

ルートヴィヒ2世の曽祖父に当たるマクシミリアン1世ヨーゼフ(マックス・ヨーゼフ)は、そのヴィッテルスバッハ家の傍流の三男として生まれました。三男であり傍流だったのですが、様々な事情が重なることで本家の当主になったとても幸運な人物です。その幸運は続きました。19世紀初頭のヨーロッパではナポレオンが統治していた時期ですが、この時期にバイエルンを公国から王国へと昇格させることに成功しました。そしてその初代国王となった人物がマックス・ヨーゼフです。

初代国王マックス・ヨーゼフの後を継いだのが、ルートヴィッヒ2世の祖父ルートヴィッヒ1世です。ルートヴィッヒ1世は、王都ミュンヘンを近代的な都市に発展させたました。広場や道路を整備して、宮殿や将軍堂、アルテ・ピナコテークをはじめとする美術館などを建設しました。現在も残るミュンヘンのほとんどがルートヴィヒ1世時代に建てられました。それらの建てられた建物は、どれも徹底したギリシャ風古典主義の建築様式で建設されて、ミュンヘンは「イーザル河畔のアテネ」とまで呼ばれるほどでした。また、ルートヴィッヒ1世は芸術を奨励したこともあり、ヨーロッパ有数の文化都市としてもミュンヘンを花開かせることになりました。

バイエルン王国の発展にかなりの功績を残したルートヴィヒ1世ですが、その治世は大きなスキャンダルによってその治世の幕を下ろすことになります。ルートヴィッヒ1世は美女を好んだことでも知られていますが、彼が60歳の時に美貌の踊り子のローラ・モンテスと出会い、彼女を溺愛してしまいます。そのあまりの溺愛から周囲の反発を呼ぶことになり退位を余儀なくされました。そしてルートヴィッヒ1世は、自分の息子のマクシミリアンに王位を譲ることになりました。

1848年に、ヨーロッパでは革命の気運が吹き荒れることになります。最初はフランスで起こった「2月革命」の余波がヨーロッパ諸国に広がっていくことになり、ドイツではウィーン、ベルリンなどで「3月革命」が発生しました。まさに世の中が大きく動いていた時代でもあります。革命も、最初はブルジョワジー中心でしたが、やがて労働者中心へ革命も移っていき、王権の存在自体が微妙になっていた時期でもあります。

幼少時代

ヨーロッパ激動の1848年の3年前8月、ルートヴィヒは父親がマクシミリアンの皇太子時代でした。生まれたのはミュンヘン郊外にある王家の夏の離宮ニュンフェンブルク城で誕生しました。そして誕生したのは祖父のルートヴィヒ1世の誕生日と同じ8月25日です。時刻も午前0時半と発表されました。生まれた日と時間まで祖父と同じでした。そんな偶然に大喜びのルートヴィヒ1世のたっての願いで、マクシミリアンの嫡子には祖父と同名の「ルートヴィッヒ」という名前が与えられることになりました。

ルートヴィヒの母マリーは、目鼻立ちの整った美女でした。父親のマクシミリアンが北ドイツに留学中にマリーを見初めてマリーが17歳で結婚しています。そしてマリー20歳でルートヴィッヒを出産しました。嫡子を出産した3年後マクシミリアンが王位に就いた1848年には、ルートヴィッヒ2世の弟になるオットーも誕生しています。

父親マクシミリアンが王位に即位したことで、ルートヴィッヒは次の王位継承者となりましたが、弟オットーとともに優しい子守、養育係りに囲まれた幼年期となり比較的穏やかな日々を過ごしたといわれています。穏やかな日々を送ってはいたものの、両親から十分な愛情を注いでもらっていたかというと決してそうではなかったようです。後年のルートヴィッヒの孤独を愛する精神の隔たりはこの幼少時代から少しずつ培われていったと推測されています。

父親のマクシミリアン2世はどんな人だったかというと、学者肌の人物。そして几帳面でストイックな性格でした。国王としての責務を日々勤勉にこなしていたので、多忙ということもあり息子たちと接する時間は1日のうちでほんのわずかだったそうです。よって遊び盛りの子供たちの相手をすることはほとんど無い状態で、優しい言葉を子供たちにかけることもほとんどなかったそうです。そんな父親の態度を見ると、子どもたちには父親の態度は冷淡にもうつっていました。父親は子どもたちとって、遠い存在にうつっていましたが、ルートヴィッヒ2世は父親自身も同じような幼年期を送っていたので仕方がない。と気がついていたようです。そして、ゲルマン神話や騎士伝説などの物語を読んで過ごしていました。そしてこの子供時代に読んだ神話や騎士伝説から、ルートビッヒ2世は大きな影響を受けることになりました。

母のマリーは、飾り気がなく家庭的で良い母親といえる女性ですが、ルートヴィッヒの夢想的な面と彼の完成を理解することはできませんでした。そんな母親から拒絶されたと感じたルートヴィッヒは、母親に心から甘えるということができなかったので、自分の心の殻に閉じこもるようになっていきました。