いざ!ノイシュヴァンシュタイン城へ…

ノイシュヴァンシュタイン城はルートヴィッヒ2世の空想の世界を現実にした夢のお城でもあります。

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ワーグナー人物像

1882年(69歳)で、舞台神聖祝典劇『パルジファル』を完成しています。そしてこの作品はワーグナー最後の作品となりました。この作品はバイロイト祝祭劇場の特殊な音響への配慮が顕著に表れています。作品の性格と合わせて、ワーグナーはバイロイト以外での上演を禁じています。この頃になると祝祭劇場と彼の楽劇は、ヨーロッパの知識人の間で一番の関心の的となっていました。彼の言や彼の行いは、いろいろな形で流布されることになり、反ユダヤ主義者としても有名となりましたが、その一方でユダヤ人指揮者ヘルマン・レーヴィに『パルジファル』の指揮を任せたりしています。

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晩年

1883年2月13日(満69歳)ヴェネツィアへの旅行中に客死しました。遺体はバイロイトの自宅であるヴァーンフリート荘の裏庭に埋葬されています。

作品と私生活でも、女性による救済を求め続けたワーグナーらしく、ワーグナーが最後に書いていた論文は「人間における女性的なるものについて」でした。その論文を執筆中に以前から患っていた心臓発作が起きて亡くなりました。

ワーグナーってどんな人?

亡命中に、自分を保護してくれたリストを音楽的にも深く尊敬して、唯我独尊とされる彼が唯一無条件で従う人物でした。当時、ブラームス派とワーグナー派と二派に別れた際にも、リストが自分についてきてくれたことに感激して、自信を更に深めていきました。

楽劇の巨大さから大男をイメージするかもしれませんが、身長167センチぐらいの中肉男です。

とにかく自己中心的です。夜中に作曲しているときは、周囲の迷惑も考えずメロディーを歌ったりしているにも関わらず、自分が寝ている時(たとえ昼寝の時でも)周りがうるさくすることを許しませんでした。

超のつく浪費家です。若い頃から贅沢をしていて支援者から多額の借金をしていながら借金を踏み倒したり、自分専用列車を仕立てたりしています。当時の高所得者の年収5年分に当たる金額を、たった1ヶ月で使い果たしたこともあります。リガからパリへ移住したのも、借金を踏み倒して夜逃げ同然の逃亡でした。

かなりの自信家で逆切れする男。若くてまだ彼が無名の時に、偽名を使って自分の作品を絶賛する手紙を新聞社に送ったりていました。またパーティーで出会った貴族や起業家に「貴方に私の楽劇に出資する名誉を与えよう」と手紙を送ったりしていました。その手紙に対して、拒否する内容の返事が届くと「信じられない。作曲家に出資する以上のお金の使い方など、何があるというのか!」といった攻撃的な内容の返事を出していたといいます。

彼に心酔するか、徹底的に嫌うか。このどちらかでした。ワーグナーは過剰なほどの自信家だったので、「自分は音楽史上まれに見る天才で、自分より優れた作曲家はベートーヴェンだけだ!」と公言していました。そしてこのような大きな態度と言動は、多くの信奉者を出しましたが、それと同時に敵や反対者も出す結果となっています。

ブラームスと、犬猿の仲でした。1870年(57歳)にベートーヴェン生誕100年セレモニー(ウィーン)に講演者として招待を受けてワーグナーは快諾していましたが、その土壇場で出席者リストにブラームスの名前をを見つけて出席を拒否しています。

フリードリヒ・ニーチェ(哲学者)と親交がありました。ニーチェによるワーグナー評論は何篇かありますが、その中でも第1作『悲劇の誕生』はワーグナーが重要なテーマ課題となっていたことでも有名です。親交はありましたが、後にニーチェとワーグナーは決裂しています。

ドイツ音楽雑誌の新音楽時報に『音楽におけるユダヤ性』と題した反ユダヤ主義の論文を匿名で発表しています。その論文で、音楽に対するユダヤ人とユダヤ文化の影響力を激しく弾劾しています。後にナチスに利用されることにもなりました。現在でもイスラエルではワーグナーの作品を演奏することはタブーに近い状態です。そして欧米でも、ワーグナーの「音楽」を賞賛することは許されてもワーグナーの「人物」を賞賛することはユダヤ人差別となり非難の対象となっています。