いざ!ノイシュヴァンシュタイン城へ…

ノイシュヴァンシュタイン城はルートヴィッヒ2世の空想の世界を現実にした夢のお城でもあります。

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ルートヴィッヒ謎の死

結婚の日がどんどん近づいて、結婚という現実がルートヴィッヒに差し迫ってくると、ルートヴィッヒにはその結婚という重圧に耐えきれないほど結婚が重いものになってきました。ルートヴィッヒは石像を前にして、「女性を愛するなら、ちょうどこんなふうに石でできた女性がいい」とまで答えたように、ルートヴィッヒが生身の女性を愛すること、そして妻として一人の女性と向き合うのはどんなに頑張ってもそれは無理なことでもありました。やがてさらにルートヴィッヒは精神状態が不安定になっていきます。「結婚をするならアルプ湖に身を投げて死んでしまいたい・・」とまで周囲に口走ったこともあると言われています。

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婚約破棄

ついに結婚式の数日前に、結婚式を10月12日に延期することを発表しました。ルートヴィッヒの祖父と父親が10月12日に結婚式を執り行っているから。ということが表向きの理由で公式発表でした。気まぐれな国王のご成婚延期の発表は、バイエルンの国民たちも疑問を抱きましたが、ゾフィーの両親も不誠実な態度をとるルートヴィッヒの態度と行動に苛立ちを隠せませんでした。それは大事な娘の将来を考える親としては、もっとなことで無理もないことです。そしてゾフィーの両親は怒りを通り越して忍耐の限界にまで達していました。ルートヴィッヒが再度結婚期の意向を示すと、ついにゾフィー・シャルロッテの父親バイエルン公は、式を即急にあげるか、もしくは婚約を解消するようにとルートヴィッヒに要求を突きつけました。

優柔不断な態度を取り続けたルートヴィッヒは、ついにゾフィー宛に婚約破棄を意図する手紙を書き送りました。その手紙の内容は、「自分のゾフィーへの愛は兄弟愛のようなものであり、私の心の底にはあなたへの真実の愛がありますが、婚姻による結びつきは必要ではないようです。でも、1年後もお互い一人なら、その時こそ永遠の愛を誓いましょう。だけど、今は未来に向けて誓い合うことなくお別れしたほうがいいのです」 といったような内容の手紙でした。

ルートヴィッヒは、婚約中も自分とゾフィーのことをワーグナーの劇中の主人公とヒロインになぞらえた呼び名で常に書き記していましたが、この最後の大事な大事な手紙の中でも、ゾフィのことをエルザと呼んで、自分のことをヘンリックと称していました。ゾフィーと自分の2人をワーグナーの物語の中の登場人物に置き換えて、空想にふけることを楽しんでいたルートヴィッヒですが、現実の世界では物語と同じという通りにはいかずに、彼自身の手でその舞台の舞台を放棄するしかありませんでした。

ルートヴィッヒの淡々と綴られている別れの文面に、ゾフィーは激しく強いショックを受けて、深い心の傷を負ったのは言うまでもありませんが、ゾフィーの両親も強く深い屈辱感を味わうことになりました。娘の今後の人生を思うと、ホッとしたような安堵の気持ちもあり、また屈辱感もありといろいろ入り混じっている複雑な心境でした。そして、今まではルートヴィッヒに対して、理解を示していたゾフィーの姉エリーザベト皇后もまた、今回ばかりは怒りを隠しきれずこの出来事を機会に、ルートヴィッヒとは絶縁することになりました。

10月10日に、正式にルートヴィッヒ2世とゾフィー・シャルロッテの婚約破棄がついに発表されました。王のご成婚を祝して、王が成婚する同じ日に千組のカップルが国の費用で結婚式を挙げるという華々しい計画などもあり、バイエルン国をあげての祝賀ムードとして盛り上がっていただけに、バイエルンの人々の失望感とても大きなものでした。しかし、ルートヴィッヒ2世本人は、婚約者に書き送った手紙の内容とは裏腹に、結婚という彼にとって重荷でしかなかったことからようやく解き放たれて、自由を手にした喜びで彼は幸福感に浸っていました。

廃位&謎の死

1870年のフランスとプロイセンとの戦争(普仏戦争)で、ルートヴィッヒの弟オットー1世が精神に異常をきたしました。そしてルートヴィッヒはますます現実から逃れるようになり、自分の世界にのめり込み自分の空想の世界で生きて行くようになりました。その生活は、昼と夜が逆転していた生活になっていました。そして側近たちにも食事姿を見られることを嫌がり、たった一人で食事を取っていてその時にはあたかも客人が来ているかのように振る舞って、会話をしていたといいます。そして地元の住民に目撃された目撃談では、真夜中にルートヴィッヒがそりに乗って遊んでいたという目撃談もありました。

家臣たちは、自分の世界にだけ行き執務を執り行わない王としての姿に、危惧を感じていきついにはルートヴィッヒ2世の廃位を計画します。そして、1886年6月12日に彼を逮捕して廃位しました。ルートヴィッヒ2世に代わって政治を執り行ったのは叔父にあたる摂政ルイトポルト王子でした。逮捕されたルートヴィッヒはベルク城に送られて、その翌日6月13日にシュタルンベルク湖で、医師のフォン・グッデンと共に水死体となって発見されました。ルートヴィッヒの死の詳細については未だ謎のままです。ルートヴィッヒの死という知らせを受けたエリーザベト皇后は「彼は決して精神病ではありません。ただ夢を見ていただけでした」と述べています。

ルートヴィッヒは生前に「私が死んだらこの城(ノイシュヴァンシュタイン城)を破壊せよ」と言い残しています。その言葉は、彼が城を自分の世界にとどめておきたかった思いから出てきた言葉ですが、摂政ルイトポルトも地元の住民たちもノイシュヴァンシュタイン城を壊さずにそのまま残しています。そして今では日本人がたくさん訪れるドイツの観光地として一番有名な場所でもあり、ドイツの観光施設を兼ねた文化財として活用されています。